お知らせ

悲しいお報せになりました

救援会の清宮誠氏(前佐倉市市議会議長)がおなくなりました、葬儀は家族の皆さんだけで静かにお送りになったそうです、合掌。
清宮さんへの追悼
清宮さんへ  清宮さんにはお世話になりました。私はどちらかと言うと日大闘争がほぼ終わりに近くなってから清宮さんとの交流があります。彼はある意味で日大闘争後の私酒井の周辺を作り上げてくれた人だと思います。69年の春いわゆるアスパック闘争の後、私は日大闘争から離れ、広島に帰っていました。そこに清宮さんからの伝言を持った日大の友人が広島までやってきて、私に清宮さんの意向を伝えてきました。
それは秋田君が獄中から清宮さんに時々、手紙を書いている。これを本にして発行したらいいのでは、それを酒井がやらないかと言うふうに言ってきました。私はだいぶ考えたのですが、秋田さんとの関係もあり、彼の獄中記を作り上げることについて、秋田さんの文章をありのまま、そっくり生かして作り上げるということができるならば、やりたいと思い、清宮さんに会うために東京に戻りました。そこで驚いたのは清宮さんが印刷や出版社というノウハウを持っている人々を紹介してくれたことです。特に盛田勇之進さんが経営している盛田書店ではかなり多くの人に出会いました。津田道夫、大井正、戸塚英雄、遠藤(ウニタ書店)廣松渉、こうした人にお会いして色々な話を聞き、私にとっては大学の授業以上の知識を得たと思います。この人たちは盛田書店で出前のコーヒーを飲みながら、自分の研究の内容について、話しているようでした。たまに酒井どう思うと聞かれたとき、私はどう答えるか、なかなか厳しい面接でした。しかし彼らが研究の中で得た知識と日本の戦後史について話す内容には大変貴重なものがあり、例えばGHQと白洲次郎の関係、日本共産党の内部の問題、今後の日本の経済等々、多くの知識を得ることができました。
秋田明大獄中記、全共闘機関紙、合同縮刷の2冊を全共社の名で発行することができ、私にとって日大闘争の一つの区切りになりました。こうしたやりとりの結果、これらの方々と大変親しい関係が築け、私がドイツに行った後も大井正や戸塚英雄は私のドイツのアパートに訪ねて来られ、日本に帰国後もスキーに出かけたり、私の生涯の仕事をどうするかみなさんに忠告をいただいたり、多くの貴重な経験ができました。
こうした私の第二幕の人生を切り開けたのは秋田明大の獄中記を発行することを任せてくれた結果と、感謝しています。私が最後にまとめた論文は『ワイマール体制確立前に於ける政治過程と評議会運動に関する研究』であり、私の唯一の研究論文です。最近、清宮さんもご存じの教員共闘の満田氏が文字お越しをしてくれています。これを感謝の意を表し、清宮さんに捧げます。                       (原文)
Kyoro